かごしまんまだより
平成28年5月13日 【かごしまんま災害等支援活動基金・活動報告(4月23日24日5月3日4日編)】
【かごしまんま災害等支援活動基金・活動報告
(4月23日24日編)】
初めて支援活動、しかもまだ鹿屋市や熊本市の社会福祉協議会(ボランティアセンター)もインターネットも情報が少なくて事前のニーズがつかめず、
とにかく行ってみるしかなく水や食材をワゴン車のノア君に積めるだけ積んで出発しました。
ノア君のサスペンションは心配なほど下がり、タイヤがとても重そうでした。
鹿児島から熊本へ入り、八代市あたりから屋根にブルーシートが被せられた家がぽつぽつ見られ、熊本市内では被害がない(ように見える)家屋のすぐ隣に全壊した家屋がある、そんな状況がたくさんありました。
新しい家は(外観から見て)比較的被害がないように見えました。
これは阪神大震災や姉歯事件等による建築基準法の改正で耐震基準や構造計算が厳しくなった事が影響していると思われます。
このように熊本市内では日常生活を送れる人もいれば避難生活を余儀なくされている方々もいて、街全体が混沌とした空気感で、でもなんとか活気を取り戻しつつあるようでした。
そんななか、朝の9時前に熊本市の熊本北高校に到着。
避難所になっていた体育館で取り仕切っていたベテランボランティアのみゆきさんという方に必要な物資を聞いてそれらをノア君から下ろしました。
子供達が多い避難所だったので、ぬりえや折り紙、マドレーヌやパンは大変喜ばれました。
電池も需要がありました。
そこで炊き出しなどボランティアをしていた高校生も荷下ろしを手伝ってくれました。
しかし水やトイレットペーパーやおむつ・生理用品は市から配給され始めており、それよりも「水ではなくコーヒーやミルクティーや昆布茶やスープ類などのお湯を入れてすぐ飲める嗜好品が足りない」とのことでした。
そしてそこですれ違った公的な方々の鋭い視線はなんだろうな、と思いながら熊本北高校を離れました。
さてここからが大変でした。
どこの避難所に行っても公的な方々がいてきっぱりと支援を断られ続けました。
合志市へと移動しても同じでした。
やっと支援物資を受け取ってもらえたところは熊本市の御幸小学校という避難所で、既に夕方になっていました。
そこには熊本市の公的な方々はおらず、神戸市の公的な方々がきりもりしておられました。
そして他の避難所とは違って驚くほどあっさり支援物資を受け取ってもらえました。
推察するに、神戸市はあの大震災を経験してこられたので私共のような飛び込みボランティアをも受け入れる懐と余裕があったのだと思います。
そして熊本市の公的な方々は、上からの指令で飛び込みの支援物資は断るよう指示されていたのだと思います。
事実、熊本市役所などは支援物資があふれて飽和状態で
受け入れ不可能な状態でした(4月23日24日の時点)。
熊本北高校ですれ違った公的な方々の鋭い視線の意味が理解できました。
ようやくノア君のサスペンションが平常に戻りました。
23日はへとへとに疲れたので知人宅に1泊し、24日の朝、みゆきさんにリクエストされていた『お湯でサッと溶かす嗜好飲料類』をたくさん買い込み熊本北高校へ向かいました。
みゆきさんにはハグされ、避難所の皆さんも歓声を上げて喜んでくださいましたヨ。
【かごしまんま災害等支援活動基金・活動報告(5月3日4日編)】
5月3日はあらかじめ前回知り合ったベテランボランティアのみゆきさんと連絡を取り、益城町の木山サテライト(文化会館駐車場のこと)へ向かいました。
熊本市内と違い、益城町は特にこの文化会館周辺が壊滅的な状況でした。
古い新しい関係なく、360度どこを見渡しても無事な家が1軒もありませんでした。
木山周辺は、耐震構造とかへったくれもなく大地ごとうねった感じでした。
あまりの過酷なその状況に涙が出ました。
木山サテライトはそこでテントを張って生活しながら倒壊した家屋から家人の大切なものを運び出したりブルーシートをかけたりする重労働をしているベテランボランティアさんたちの基地でした。
日本財団が支援をしているので重機やテントや自転車等あらゆる道具がありましたが、食事は各々で皆さん毎日パンとかカップラーメンでしのいでいるとのことでした。
そこへ炊き出しの準備と不足しているブルーシートとロープを持って私共は向かったのでした。
到着してすぐノア君の後ろのドアを開けると
「ブルーシートとロープ、来ました~っ!!」「イヤッホーッ!!」
と歓声が上がりました。そして疲れを見せずに皆さんでブルーシートをバケツリレーで運んでくれて、炊き出しまで手伝ってくれる方もいました。
5月3日の夕ご飯は『やごろう豚とかごしまんま野菜の焼きそば』で、4日の朝に『やごろう豚汁と鉄鍋でつくるあったかい白飯』をつくりました。
両食とも印象的だったのは「麺はいらない肉や野菜が欲しい」とか「ご飯はいらない、豚汁が欲しい」とかいう声が多かったことでした。
いかに過酷な重労働をしていかに栄養不足の食事しかとれてないかがわかる言葉でした。
でもさすが皆さんベテランボランティア、30人ほどの集団だったのですが皆お互いを常に気遣って、炊き出しも全員にいきわたるよう、少な目にとったりおかわりを遠慮したりしていました。
在日の外国人ボランティアも多く、「ミソスープ、ホントオイシイデス」と笑顔で言ってくれました。
ボランティアの方々への支援も、被災地での大切な大切な支援活動であると実感しました。
2回支援活動をしてみて思った事は、「個人では決してこのような支援活動はできなかったな」という一言に尽きます。
まず金銭面。今回、現地のニーズであるブルーシートは家を覆うほどの大きなもの(5間×5間以上)なので1枚で約1万円。
10枚買っただけで10万円が飛んでいきます。
金銭面での負担が大きく、これは皆さんの支援がなければできませんでした。
次に体力面。
ものを運ぶ作業が多くかなり疲労します。
当初は「日帰りで」と考えたりもしていましたが、体力を回復させるために宿泊しないと厳しいです。
過酷な状況に精神面も強さを求められると思います。
非常時なので荒々しい場面もあり、精神的なタフさが必要だと感じました。
そして私のような子持ちが支援活動するには、小さな子供を預けられる人と場所が必要です。
幸い私には母(おババ)がいるのでとても助かりました。
おババがいるから安心して活動できました。
たくさんの支援物資を運ぶ広い荷室の車両も必要です。
これも父がノア君を形見として残してくれたので助かりました。
また、帰宅すると今度は支援活動(炊き出し)に使った大きな鍋やカセットコンロ数台等の道具の保管場所も必要になりました。
支援活動にはこのように、金銭面・体力面・精神面・子供を預けられる人・荷室が広い車両・物資・資材の保管場所があってこそ、できることなのだと痛感しました。
みゆきさんや木山サテライトで出逢ったベテランボランティアの方々はそれをナチュラルに自然体でこなしていて、しかも笑顔を絶やしません。
本当にすごいな、と思いました。
でもきっとその笑顔の奥には、数々の修羅場を乗り越えてきた人間だけが持つ真の強さがあるのだろうと。
最初は「配送が止まっている熊本市内のお客さんに商品を直接届けよう」というところからはじまって、
皆さんに背中を押されてあれよあれよという間に支援活動することになって。
そして皆さんのおかげで貴重な体験をさせて頂きました。
心から感謝するとともに、いっそう襟を正して会社の方も運営して、かつ、皆さんから預かった大切な支援金を胸に、
引き続き継続して支援活動をしていきます。
今日も皆様の冷蔵庫と食卓が安心と幸せで一杯になりますように。同じ空の下、心から心から願っています。
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- 2019.06.26
- 16:08
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